佐藤究『テスカトリポカ』の(解説という名の)完全独自解釈。

 さて、『QJKJQ』にて江戸川乱歩賞を受賞した佐藤究は、そのあと、長編は二作(『サージウスの死神』は中編と理解した)しか出していないが、どちらも意欲に満ちている。寡作だが、それが気にならないくらいに一作ずつのクオリティーが凄まじい。佐藤究の作品は、読んでいると、なにか人類の秘密を覗き見ているような感覚にさせられる。

 

 とにかく、そんな仰々しい言葉を並べたくなるくらい、僕は佐藤究という作家にとても感謝している。同時代にリアルタイムで追いかけることができて、とても幸せである。

 

 今回は、佐藤究の最新作である『テスカトリポカ』の面白いポイントについてご紹介したい。

 

 いろいろな魅力が詰まっている大長編なので、ひとつだけのポイントを抽出するのは失礼かもしれないが、ここはあえて、僕がいちばん気に入ったポイントに的を絞りたい。

 

 僕がいちばん魅力を感じたのは、「人間とはなにか?」という問いに対して、経済人(ホモ・エコノミカス)という答え方をしているところだ。僕はそのように感じた。

 

 ホモ・エコノミカスというのは、経済学における人間の捉え方を揶揄する目的で使用されることが多いのであるが、『テスカトリポカ』においても、その揶揄の気持ちが垣間見えるようだった。それはある種、警告でもあり、「本当にそれでいいのか?」という問いかけにもなっている。

 

 簡単に説明すると、ホモ・エコノミカスというのは、なんでもかんでも合理的に行動して自分の利益を最大にしようとする人間のことだ。とてつもなく計算能力に優れていて、自分のためだけにひた走る人。そういう想定から、経済学理論が組み立てられている。そんな経済学への批判として、「そんな人はいない」というものがよくある。

 

 しかし、ちょっと待ってほしい。『テスカトリポカ』に登場するバルミロはどうだろうか? 時には仲間を殺すことも顧みず、あの手この手を使って経済的にのし上がろうとする意欲に満ち、その能力に恵まれている彼は、まるで、ホモ・エコノミカスのようだ。

 

 僕は独自に、『テスカトリポカ』はホモ・エコノミカスの実在を示し、それを揶揄するための小説だったのではないか、という捉え方を提案したい。

 

 もちろん、こんな捉え方をしてしまうのは僕が経済学部の学生であるせいかもしれないが、それならそれでいい。とにかく、僕は、『テスカトリポカ』が描く世界が混沌とした資本主義の残酷さを抉りだし、そこから人間存在の性質や、そのあり方について鋭い洞察を提供しているように思えてならない。

 

 人間とはなにか。佐藤究がおそらく追及している疑問であるが、それは現代においてはミクロ的な視点で語ることはできない。

 

 人間というのは、制度や信仰でかろうじて世界とつながっている存在に過ぎない。ひとりだけを取り上げて、人間とはこういうものですよ、と語ることはできないのであり、その者が置かれている環境によって規定されている側面がかなり大きいのである。

 

 では、いま現在、人間が置かれている状況はなにか?

 

 ――資本主義だ。

 

 それも、ただの資本主義じゃない。暗黒の資本主義である。

 

 そんな環境に置かれている人間は、当然、その影響を強く受けているわけである。そして、そのシステムの中には、明らかに勝者と敗者が存在する。日本とメキシコが。贅沢と貧困が。カルテルとの競争が。その中でのし上がろうとするのはきわめて一般的な欲動であり、一歩間違えれば、人間は、いつでもホモ・エコノミカスに変貌してしまう危険性を秘めているのだ。

 

 『テスカトリポカ』は、そこに大きなメスを入れる。大きな声で提言している。これは本書を読んでいただくしかない。

 

 そういうわけで、僕は、経済システムによって規定され、束縛され、その性質さえも塗り替えられている人間たちの模様を楽しく読んだ。

 

  面白いことに、お金がなければ大勢の人間は協力できないが、お金があることによって競争が生まれているという側面もある。メキシコでつくられている違法薬物は日本の顧客にいきわたり、日本の顧客と麻薬の売人がお金を介して「協力」している。しかし、その一方で、メキシコの国内では麻薬カルテルが殺戮を繰りひろげ、お金を求めて「競争」している。

 

 明らかに、生贄が必要だ。人間と人間が協力するためには、誰かを犠牲にしなければいけない。結局のところ、現代においても形を変えて、生贄という儀式が続いているのかもしれないとまで思わされた。

 

 僕たちは、生贄たちを無視することで、物質的に豊かな生活を続けているのかもしれない。そして、なぜか、精神的には貧しい状況が、日本中に拡がっているように思えてならない。

 

 どうすればいいのか?

 

 その答えは『テスカトリポカ』の中に転がっているかもしれない。ぜひ、本書を手に取っていただけたら、嬉しい。